これからの新卒は自己責任で即戦力として社会に出る準備しとかないと人生詰むぞって話

やや煽り気味のタイトルになった感は否めないけど、TwitterやFacebookで吹き荒れる即戦力議論を眺めていて、違和感を感じる瞬間が多いので久々に筆、もといキーボードをとってみた。
ちなみに後半はもっと扇情的な言葉遣いをすることになるという予感はしている。

社会自体が新卒に投資しなくなるよっていう話

トヨタの社長が終身雇用に対して諦観を示し、来年からは経団連が通年採用を開始、また、第二新卒第三新卒を含む転職市場は年々活発化している。
新卒に対して即戦力を求める企業も増加し、大学は企業側のニーズに沿ったカリキュラムを増やす。それに対してアカデミックな人々は異論を唱える。

これらの出来事や議論そのものは、個別に見るとどれも筋が通っていて、正論に聞こえなくもない。
正論と正論のぶつかり合いなので、おそらく決着は、より大きな権力を持っている方に都合よく流れていくのではないかと思う。

さて、この議論に一番振り回されるのは、これまで終身雇用を前提に生きて来た、社外で通用するスキルを持たない中年世代と、これから社会に投げ出されようという新卒世代なのは間違いない。

正直前者は御愁傷様としか言いようがないし、どのように対応するかは、それぞれが歩んできたキャリアに依存してくると思うので、いったん置いておく。

問題は後者だ。
まず彼らにとってこれから厳しくなるのは、彼らの競争相手にはもはや同世代の新卒だけではなく、海千山千の中途入社たちも含まれるということになるということだ。

なぜかつて新卒が特別扱いされ、中途入社よりも優遇されていたかといえば、新卒は今後数十年に渡って会社を支えてくれる屋台骨となる可能性が高かったからだ。

生え抜きと外様(とざま)という言葉があるように、新卒からずっといた社員は中途入社よりもある程度優遇され、能力的にはまだ劣っているにも関わらず社内で出世コースに入ることも十分ありえた。
企業は彼らに十分な投資と教育を行うし、実際そのリターンは投資に十分に見合うものだっただろう。

しかし、上記のように終身雇用が崩壊し、転職活動が活発化するということは、もはや新卒社員は別に将来的な屋台骨になりうる人材ではなくなる可能性が非常にに高くなる。

企業にとっても、彼らに対する教育や投資は費用対効果が薄く、おそらく新卒に対する教育投資はどんどん抑えられていくものだと思われる。
現に、多くの企業ではコストのかかる専門知識に関する座学研修がどんどん減り、入社前に資格取得を要求したり、OJTという名のなんちゃって研修で済ませようとする動きが増えている。

生え抜きプレミアはどんどん価値を失い、新卒と中途を同じ軸で比べるようになって来ている、というのが僕なりの所感だ。

マネージャにとって新卒は足手まとい

非常に残酷な事実を述べようと思う。

多くのマネージャーにとって、ほとんどの新卒は自分の生産性を下げる足手まといでしかない。
特に、終身雇用・年功序列が崩れた今、成果主義と生産性の名の下にマネージャも自分の組織するチームの成果を問われ続ける。
そんな中間管理職にとっては、なおさら新卒は足手まといだ。

工数上は一人としてカウントされるが、仕事もできない、日本語もいまいち通じない、特別なスキルを持っているわけでもない、指示しないと動けない、おまけに何かにつけて権利を主張してくる。

おそらく中には、心のそこから、新卒など採らなければいいのにと思っているマネージャーも少なくないのではないかと思う。

新卒側からすればお前だってかつてはそうだっただろうと文句を言いたくなるだろうが、マネージャ側からすると、その事実を理性として理解した上でも、感情として受け入れられない部分はある。

ゆえに、彼らは新卒に厳しくあたるし、逆にある程度のスキルを持って入社してくる中途入社を歓迎する。
これは個人や企業単位の問題ではなく、社会としてそういう方向に動いて来ているというだけで、個人や個別の企業を責めるのは間違っていると思う。

つまり、何が言いたいかというと、社会の流れとして、大学や企業は教育コストを自分以外の場所に負担させたがるようになり、その社会にすでに存在している個人たちは、そのコストが十分に投資されていない新人に冷たくあたるようになるということだ。

一旦自己保身

ちなみに、これだけ散々言っていると炎上しそうなので、僕個人の話をすると、僕は個人的に人材育成が好きなので、かなり手厚く後輩を教育している、と思う。

僕はシステムエンジニアを生業としているが、後輩の大半は大学でコンピュータサイエンスの基礎を学んできたほぼ素人たちだ。
エンジニアの人たちにしか通じないかもしれないが、カーネルの仕組みは知っていても、ログをSystem#out#printlnで出力したり、assertを返り値でif分岐したりしてしまうようなレベルだ。

だからこそ、就業時間に彼らに対してコーディングの基礎はみっちり教え込むし、必要であれば業務時間後にスカイプやFacebookメッセンジャで愚痴を聞いたり、個別に講座を開いたりする。

エンジニアという文化上、また終身雇用など初めからない国にいることもあって、当然二、三年もすれば転職していく。
それでも、彼らが転職して、有名な外資企業に入れたという知らせを聞くと心から嬉しく思う。

ただし、これはあくまで個人の趣味でやっていることであり、仕事ではない。
僕にとって、多くの人間にとっても同じように、仕事より趣味の方が真剣になれるからやっているだけである。
仕事としてやれと言われればおそらく断るだろうし、また、同じ対応を他のマネージャ仲間に要求するのはお門違いだと個人的には思っている。

流れ自体は問題ではない

個人的には、この流れ自体は問題ではないと思っている。
というのも、僕が今いる国、かつていた国、また欧米諸国でもこれは非常に一般的な話で、そのせいで社会が崩壊したという話は聞いたことがない。

ただし、日本はつい最近その流れに追いついて来ただけで、企業や大学を含めた社会の仕組み的にも、学生の意識的にも、これを受け入れる準備はできていない。 冒頭のトヨタ含め、多くの企業では問題そのものは認識しつつも、手をこまねいているのではないかと思う。

なにせ、問題は社会レベルの問題だ。
個別企業が動いたところでどうこうなる問題ではない。

僕個人としては、この流れに対して社会が適応できるようには10年単位の時間がかかるのではないかと思っている。
なにせこの流れ自体はもう10年以上前から予見できていたことであり、いまだに社会は負荷にばかり目を向け、具体的な対応策に向けて動けているようには見えない。

ゆえに、今から10年くらいの間、新卒たちはかなり厳しい状況に置かれていくのではないかと考えている。
大学からも企業からも十分な教育は与えられず、海千山千の中途たちとしのぎを削ることになり、上司には厳しく当たられ、精神的にも体力的にも追い詰められていく。

若さ、専門性、自頭、コミュニケーション能力を最大限に活用して平凡な中途たちとも渡り合っていけるような、ごく一部の優秀層はむしろそちらの方が都合がいいかもしれない。

しかし、9割以上の平凡な学生たちにとって、おそらくバブル時代以上に根性を試される時代が当分は続くことになるのではないかと思う。
そして、そこからドロップアウトしたものは精神を病んだり、ほぼ何も身についていない状態で転職市場をさまよったり、非正規雇用の闇に飲まれて不安定な人生を送ったりすることになる。

新卒採用は売り手市場が続いているが、個人的な所感としては、今後10年は、失われた10年以上の厳しい時代になるのではないかと思う。
そして、その10年以内の新人は、失われた10年当時の新卒同様、人生単位でそれなりに厳しい生活を送ることになる可能性もある。

自己責任で即戦力

さて、ここでタイトルに出した、自己責任と即戦力という言葉が出てくる。

まず、前者の自己責任という部分は多少なりとも同情はするが、後者の即戦力という点に関しては、個人的にはごく普通のことだと思っている。
というのも、日本以外の多くの国では、全く未経験の新人などほぼ雇うことはないからだ。

彼らは、大学生の時点でワーキングホリデーやインターンなどを通じて一定の技能を習得してから、企業に対して正式に入社してくる。
また、専門知識に関しては、企業が資格を要求するまでもなく、大学での勉学を通じて身につけているのが前提だ。

ゆえに、前述の後輩たちに対してメモリやCPUの説明をする必要はないし、自社独自の箇所だけ説明すれば開発環境の設定も自分たちで行えるし、いきなり専門用語をガンガン使ったディスカッションを要求しても、内容の質には程度の差があれど、ほぼ問題が生じることはない。

これは日本のトップ校の学生たちも相違ないが、彼らは大学のレベルに関係なく、平均的にそれを行うことができる。

ちなみに加えて言えば、僕は当然ほとんどの国で現地語を喋れないのだが、多くの国のインターン生たちは多少不恰好ではあるが、それなりに英語でコミュニケーションを取れたということだ。

彼らは、自分のキャリアパスを学生のうちにある程度固めた上で自身の能力開発を行い、知識を蓄え、経験をしてきている。
故に、企業に入社する段階ではある程度即戦力としての期待ができるし、力不足であっても基礎が出来ているため覚えるのが早い。

また、大学や企業、そしてそれを包含する社会もそれに十分な機会を与えている。

例えば、大学は半年程度のインターンの参加を卒業要件に加え、単位として認める。

企業はインターンを積極的に受け入れるし、小間使いではなく実際の業務に参加させる。また、場合によってはインターン生が入社しようとしてる企業に対して推薦状を書いたりもする。

そして社会はそれらの専門知識と業務経験をきちんと備えた学生にだけ職を与える。
希望の職種に対して要求される専門知識を持たないものには、学士入学などを認め奨学金をだしたりもする。

こういった仕組みは、おそらく当分日本には根付かない。
だからこそ、根付くまでの間は、非常に残念ながら「自己責任」になってしまうのだ。

大学も企業も社会も、おそらく新卒に対してこういった仕組みを提供するには時間がかかる。
国として登り調子だからできる政策や制度もあるだろう。

しかし、彼らがその重い腰をあげるのを待っていたら、あっという間に時間は過ぎ去っていく。
そして、その重い腰が上がった時に救われるのは、この期間に割りを食わされた世代ではない。その時代の新卒たちだ。

だからこそ、社会が重い腰をあげるのを待つのではなく、自分自身で即戦力と言わしめるだけの能力を培っておくことを、個人的にはオススメする。

悪いことばかりでもない

さて、散々不安を煽ってきたが、しかし、かといって悪いことばかりでもない。

我々おっさん(三十路前半だけど)から言わせてもらえば、学生時代にある程度知識と経験を積んできた頭のいい学生たちというのは、なかなかに得難い存在だ。

自分の持っていない能力や価値観を持っている上に、一から教えなくてもどんどん業務をこなす。
当然飲み込みも早いし、若い分だけ中途よりも教えがいもある。
また、コミュニケーション能力の基礎もできているので会話に苦労しない。(学生というのは自分たちが思う以上に会話が下手なものだ)

これだけいうとおっさん側にばかりメリットがあるように感じるかもしれないが、新卒側にも大いにメリットがある。
上司に信頼されれば、小間使いからはすぐに脱却し、それなりに重要な仕事をもらえるようになる。
それなりに重要な仕事というのは、自分自身の転職市場での価値を大いに向上するものだし、また当然小間使いよりも楽しい。

また、足手まといと認識されていればネグレクトされていたであろう教育もして貰えることが多い。
僕も何も知らない新人よりは、ある程度自分で勉強している新人に対しての方が教育にかける熱は上がる。

そうしてどんどん知識と経験を獲得していけば、転職するにしても自分自身の価値は上がるし、残るとしてもそれなりに仕事はしやすくなるだろう。
期待されすぎて業務過多になるのなら辞めればいい。それでも、年齢に対してたくさんの経験をしてきている人材を、転職市場はいつでも欲しがってくれるだろう。

仕事ばかりが人生ではないが、それでも大半の人間は、生きていくために、何かしらの仕事をして社会に貢献しなくてはいけない。
であれば、自分自身の人生を守るために、そのくらいの準備はしてもいいのではないだろうかと、僕は考えている。

ちなみに、ずっと小間使いでいいという人たちに関しては、今回は考慮していない。
おそらく、そういう人たちも今後の社会では必要とされていくと思う。

しかし、その理由は、人が足りないから、仕方なく、だ。
故に、上述したような風当たりは強くなるだろうし、競争相手は移民や外国人労働者になり、それはそれでかなり根性を試されるのではないかと思う。

僕個人に関していえば、小間使いでいいとは思ってはいないが、仕事に生活を蝕まれて毎日終電で帰るような生活がしたくないからこそ、日本を出た。

毎日9時18時半で勤務し、昼休みは家に帰って昼寝したり、Game of thronesを見たりして、仕事終わりはバーに飲みにいったりバドミントンしたりコードの勉強したりこそが、人間の生活だと思っている。

何れにせよ、楽しくおかしく暮らしたいなら、自分の人生に関しては、それなりの労力と時間をかけて作っていった方がいいと僕は思う。
特に、これから社会に出る新卒は、社会の流れがそういう風になってきているという点を踏まえた上で、十分に準備したほうがいいのは確かだろう。

もし仮にどこかでこの流れの狭間に追いやられてしまったとしても、誰のせいにもできない。
いや、誰かのせいにすることはできるかもしれないけど、その話を聞いてくれるのはスナックのママと精神科医だけなのだから。